序論
To celebrate the screening of Tadashi Nagayama’s Being Natural at various festivals – Camera Japan and Fantasia Film Festival – we invited Tadashi Nagayama, Natsuki Mieda and Yohta Kawase to talk about their latest collaboration.
インタビュー
Psycho-cinematography: 前回作である「トータスの旅」はあなたの体験が反映されていました。今回の作品はどのような形であなたの体験が反映されていますか?
Tadashi Nagayama: 今回は、脚本を書いた妻の経験が影響を与えている部分が多いです。以下の回答は、妻によるものです。
「仕事を辞めた私の叔父は、祖母の実家である本家から古い家を借り、全て自分でリフォームして暮らしていました。 本家の独身で年の近いいとこが持っている田んぼや畑を、やはり年の近いもう一人の独身のいとこと共に仲良く手伝っていたのですが、ある日を境に突然三人は決別してしまいました。仕事を失っただけでなく、叔父はヤクザまがいのやつらに家を乗っ取られたそうです。今では房総半島で自由気ままにたくましく暮らす叔父の姿から、家庭や仕事の成功とはかけ離れたところにも楽しい人生はあるんだよと教えられました」
P.C.: 質問1と関係しているかもしれませんが、中でもなぜ東京人と田舎人の違いに興味を持っですか?
T.N.:日本では、ある種の映画のことを“田舎ホラー”と呼ぶことがあります。「悪魔のいけにえ」のような、田舎を訪れた人物が、都会とは違うその土地独自の倫理観や行動を目の当たりにして恐怖するストーリーです。
私は東京の隣、神奈川の出身なのでそこまで田舎ではありませんが、東京に近くても都会との差が歴然に見えるエリアが日本には多く存在します。私の出身地は登山客が多く訪れる山村地帯で、初監督作品「飛び火」(英題Light My Fire)でもストーリーに影響を与えた出来事や人物造形のモデルになった家族が存在します。
「天然☆生活」では、田舎の人が都会の人によって恐怖を味わうという、
その逆のパターンをやっています。いずれにせよ、私が興味があり面白いと感じるのは、倫理観や価値観の™ずれ™で、それよって生じる不恰好なコミュニケーションです。
P.C.: コメディや風刺をカメラの枠に収めるのはそんなに簡単なことではないと私は思います。ながやまさんが考える、ストーリーを面白くする最も重要な要素は何ですか?
N.T.: 省略することで生じる面白さが好きです。例えば男二人が喧嘩をしているシーンがあって、その最中に急にシーンが変わって、次の瞬間には二人がお酒を酌み交わしている、というような。
funnyを狙う時でなくても、悲しみでも恐怖でも使えますが、映画の中で時間を大胆に飛ばす省略は見ていて気持ちが良く、驚きも与えてくれて好きな表現手法です。
P.C.: ながやまさんはできるだけ多くの感情を引き出すためにジャンルを混ぜることも好きですよね。ジャンルと感情のよいバランスを見つけることは難しかったですか?
T.N.:バランスを良くすることに意識は寄せていません。映画を見ていて「なんだこれは!」と思う瞬間が好きで、今自分がどんな原因で泣いているのか、笑っているのか、恐怖しているのか説明がつかないような表現に遭遇すると感動しますし、そこを目指しています。
P.C.:「トータスの旅」にもあり、今回のストーリーにもある非現実に対するながやまさんの愛を説明してください。
T.N.: 現実的な描写、徹底的なリアリティを一貫して追求した映画よりも、現実では起こり得ないことが起こる映画が好きです。現実では酷いことになったけれども、映画の中だったらできる。地を這うような生活を送っていたとしても、映画館に行けば空を自由に飛ぶスーパーマンに心躍らせることができる。映画の中だったら、ハエと合体したり、宇宙人と友達になったり、最悪の殺人鬼に追われて生き延びたり、怪獣になって町を破壊したり、ヒトラーだって殺すことができます。それが子供の頃から映画を好きな理由かもしれません。
P.C.: ながやまさんはゆりこさんと一緒に台本を書きましたよね。2人で台本を作った過程について説明してもらえませんか?意見の違いがあったとき、何が起こりましたか?
T.N.:まず最初のストーリーの思いつきの段階で、「こういう映画がやりたいんだけど、どう思う? どうやったら面白くなると思う?」という感じで相談します。話し合いながら徐々にストーリーを具体的にしていき、プロットまでをそのやり方で作ります。次の段階、シナリオとして初稿を書くのは一人で行います。今回の初稿はYuriko Suzuki が書きました。初稿ができたらそれを見せ、意見を言い合い、「このシーンは私が一度書き直してみる」とか「第三稿は書かせてみて」といったプロセスを何度も繰り返して完成させます。
Yuriko Suzukiは私の妻なので、意見の相違があっても離婚はせずに、納得できるまで粘ります。脚本家として意見を戦わせた後、パパとママに戻るのは中々大変です。ただ女性と男性両方の視点で描けるのは、シナリオ作りにおいてとても重要だと思います。女性はこんな考え方をしない、とか男性の仲の良い友達とはこんな話し方はしない、
といったようなお互いの指摘によって、より説得力のある物語作りが可能になると思います。
P.C.:再びカメが戻ってきます。ながやまさんはカメをながやま作品の特別な存在にする予定ですか?
T.N.:亀に固執はしませんが、好きなのでこれからも出てくるかもしれません。
動物と人間の関係は不思議で、言葉は通じないのに愛を感じたり滑稽だったり悲しかったりして興味深いです。
P.C.: 私が間違っていれば教えてください。今回ながやまさんと一緒に働くのは2回目ですよね。かわせさんは彼を監督としてどのように表現しますか?
Yohta Kawase: 永山監督とは『トータスの旅』以来二度目なのですが二作品とも基本的に彼の視線は常に弱く、小さくてダメな人々に向かっています。そしてそんな彼らを脅かす社会のつまらない常識や同調圧力には怒りを持って闘いを挑みます。つまり、俳優にとって有り難い、やりやすい監督です(笑)
P.C.:みえださん、それと、ながやまさんを監督としてどのように表現しますか?
Natsuki Mieda: 見た目がムーミンみたいに癒し系ですが
中身に溶岩とかマグマとかそういうものがみちみちに詰まっている人でした。
撮影中はムーミンのままとても穏やかで自由にやらせていただけてとてし感謝しています。
P.C.:かわせさんの意見では、最も楽しいシーンは何でですか。
Y.K.:居間でインスタントラーメンを食べている背中のショットを撮っていた時です。ただ食べていただけなんですああいうショットを撮っている時が一番役柄に近づいていた気がします。
P.C.:みえださんは?
N.M.: たくさんありますが、シーンというか、初めて夫婦で隆の住む古民家を訪問するときとか夫婦で、誰か他人と会話してるシーンがとても面白かったです。旦那さんに、というか津田さんに、いつも絶対的に守られてるかんじでした。
P.C.:日本の映画やインディーズシーンの現在の形はどう思いますか?
T.N.: 日本で人気のある俳優、日本で人気のある原作を使った映画が多いと感じます。いくつかの海外の映画祭に参加してみて思うのですが、そこで映画を楽しんでくれる人は、俳優のことも知らないし、ストーリーに原作が無いからといって怖がることはありません。だからもっと純粋に、映画がただ面白くなるためだけに考えられたストーリーを映画にして、映画がただ面白くなるためだけに俳優を選ぶことをやってもいいと思います。
P.C.: ながやまさんの映画を見たことのない人に、ながやまさんのスタイルを宣伝してください。彼らは何を期待できますか?
T.N.: 私の映画はまず娯楽で、観客は難しいことを考えずに見て楽しめるものです。しかしそれだけではなく、理不尽や政治や搾取や弱いものイジメへのカウンターアタックを映画に込めています。映画館が好きな人は、作り手と同じようにどこか満たされない思いを抱えていることも多いと思いますが、私の映画で少しでも気持ちが晴れてもらえれば嬉しいです。
P.C.:かわせさん、めいださん、宣伝をする時間:なぜ映画「自然である」を観るべきなのか?
Y.K.: いま何かに疲れていたり、間違ってるなと思っても声をあげられない人にこそ観てほしい作品です。しかし決して「頑張れ!」なんて押し付けがましい作品ではないです。むしろこのバカバカしいエンディングに「ああスッとした」と思ってもらえればな、と。
N.M.: 自分の信じることを一生懸命頑張ってやっているのに周りから認めてもらえない人とか、日本の良い風景を眺めたい人、とかはこの映画を観たら何か引っかかることがあるかもしれません。
日本では天然自然て言葉が溢れてるけど適当に使ったらこんなことになってしまいますよ。
あとは、絶対に、最後まで観て下さいね。穏やかなおじさん青春ドラマだと思ったら大間違い。ムーミンだと思ってた監督のマグマなところをどかんと楽しめます。
P.C.: ありがとうございます。