監督との話し合い: Masaaki Yuasa [日本語]

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Introduction

With the release of The Night Is Short, Walk on Girl and Lu Over the Wall – both were screened at Fantasia Film Festival, 2017 has already been a very busy year for Masaaki Yuasa. To celebrate both releases, we sit down with Yuasa to talk about his past, the present and the future.

[This interview is in Japanese. The English translation will be published in the coming weeks]

Interview

masaaki_yuasa_at_anime_expo_2013P-C :アニメーターになろうと思ったきっかけや経緯を教えてください。

Masaaki Yuasa: 小さい頃からアニメがとにかく好きだったんですけど、アニメを卒業する時期にちょうどアニメーションブームが起こって、アニメーションっていう仕事がやっと分かったんです。それまでは漫画家になろうと思っていたんだけど、やっぱり僕のやりたいのはアニメーションだったなと思って、そこからアニメーターになりたい、と思いました。多分13歳ぐらいだったかと思います。

P-C: アニメのどういうところに惹かれましたか。

M.Y: 小さい頃、本当に自分の楽しみで。あのシンプルな絵にすごく憧れていましたね。4−5歳で幼稚園に行くと、漫画やテレビアニメを観て覚えた絵を描くとちょっともう人気者で。それを観て覚えて描くのが好きでした。

P-C: 職歴を見ますとすごくいろんな分野で活躍されていますが、アニメ監督というところにたどりついた経緯を教えてください。

M.Y: 初めはアニメーターになりたいっていうだけで、他は望んでいませんでした。もともとなりたかった漫画家になるのをやめたのも、やっぱりストーリーを作るということの意味がよくわからなかったんです。でも絵を描いているうちにあまりアニメーターではうまくいってないと感じて、絵コンテの仕事をやったらとても楽しかったんですね。演出に応えるために絵を描くのは、演出のオーダーに対して答えられていないという気持ちがずっと自分の中にあって、演出は、いやOKOKって言っていましたけど、それがすごくストレスでした。自分が演出をして自分で絵を描くと本当に楽というか、自分に対して期待していないので、自分の描ける絵で演出をしていくとすごく楽しいと思ったんですよね。最初にやったのが多分、音楽に絵をつける仕事で、絵コンテをやっているとすごく楽しいし、他の人も褒めてくれたんで、その時に急に、それまでは向いてない仕事だと思っていたものが、天職だって思うようになった。それから絵コンテを描く仕事を出来るだけやろうとして、でも絵コンテをやっているとだんだん、監督の方がもっと自由にやれる、と思って、監督になって。監督やっていると、脚本から書いた方がもっと自由にやれる、ということで、今脚本とかも勉強している感じですね。

P-C: 最初に仕事をされたのは亜細亜堂という会社ですが、そこでの経験について教えて下さい。また、亜細亜堂のアプローチはその後監督にどのような影響を与えましたか?

M.Y: もともと仕事を始める時に、ど根性ガエルをつくっていた芝山努さんという尊敬するアニメーターの方がいる会社で、その方に指示を仰ごうと思っていたんですけど、やっぱり直接仕事をすることがあまりない。あれ?質問はなんでしたっけ?

その会社は作画をしっかり教える会社で、直接の仕事はしなかったんですけど、他にも偉い方がいっぱいいらっしゃって、そこで結構安定した、オーソドックスなものを学びましたね。

早くしっかり描く。で、割と基本的なスタイルでフィルムにとって見てみるっていうテストをやることもあるんですけど、あまりそういうことはやらずにとにかく早く描いて、昔のアニメーターのように感覚で覚えるっていう、動きとかは頭で覚えるっていうことをやっている会社でした。それでも動画を描くと原画の人がチェックしてくれるっていうシステムがあって、それでだんだん教わることが 多くなって、すぐ次のポジションに仕事を移されていくので、落ち着く場がなく、どんどん次の仕事を覚えるような感じでした。

やっぱりメカのようなロボットものとかアクションものの会社に入ったらすぐやっていけなかったと思いますね。シンプルな作品を作る会社だったので、それも良かったんです。その中でもやっぱりうまく描けなかったけど、それを指導してくれる会社でした。いろんな会社ありますけど、テレビアニメーション独特の動かし方ってあるんですよ。そういうのではなくて、基本的な日常芝居を教えてくれる会社だったので、すごくオーソドックスな面が学べたと思っていますね。オーソドックスじゃないタイプと言われていますけど、基本は作り方とかオーソドックスに考えていると思いますね。

P-C: クレヨンしんちゃんの制作後、スタジオ4℃, プロダクションI.G 、J.C.スタッフ、ジブリなどからのオファーを受けられています。 これらの経験は、監督にどんな影響を与えましたか。

M.Y: 今一番懐かしさを覚えるのは最初のやっぱり苦しい期間を共にした亜細亜堂の人たちなんですけど。やっぱりスタジオによって言語がちょっと違うというか、やり方とかやっている作品も違うし、人の出入りが結構あってもやっぱり雰囲気というものがあって、なんとなく色んな国に似ているような気がするんですよね。なんか今までツーカーで通じていたものが全く通じないところに行って、自分のやり方を示して、やるっていう。だからちょっと色んな国を渡り歩いたみたいな感じがありますね。そこでのやり方を覚えて、なおかつ自分のやり方を説明して、慣れた人を増やしていく。その間に色んな人と知り合って、いいものは取り入れて、学ぶことは学ぶ。その中でできることを、やっていきました。自分にとって一番やっぱり大きかったのは、演出の仕事をやっていて、思い通りにならないことが結構あって。音楽に合わせて絵をつくったんだけど、編集、ダビングの時に音楽が変わっていたっていうことがあったんです。そのときに自分は心が折れて何もできなかったんですけど、自分の上のチーフの方がちょっとでも合わせていきましょうって言って、全然違う音楽に作った絵をどんどん合わせていこうとしていた。僕はそのときにもうそんなことやっても無駄だと思って、せっかく作ったものがもう台無しになってしまったっていう、音楽変えた人に対して怒りがいっぱいで何もできなかったんですけど。そのときに学んだのが監督ってどんな条件にあってもそのときにベストなものをやらなければいけないなっていうことですね。いつも仕事は楽しくやろうって考えています。で、どんな条件にあってもうまく対応したい。何か起きるっていうことをいつも想定して動くようにしています。色んな会社で色んな経験をさせてもらったおかげでそういう風に思えるようになりました。

P-C:  絵のスタイルを何年間かのあいだに幾度か変えられましたが、それは原作に合わせるためだと以前におっしゃっていました。最近の作品ではご自身の実験的なスタイルに移行しておられるように見受けられます。それは原作に合わせるという趣旨を変えられたのでしょうか。だとしたら、何故でしょうか。

M.Y: 最初にアニメーターになるときに、アニメーターって色んな絵が描けるべきだっていう話があって、一生懸命色んな絵をやりたいと思っていました。でも、結局やっぱりみんなそれぞれ意外とスタイルがあって、わりと変えないでやっているんだなあというふうに後から気がついたんです。まあそれでも、作に合わせて変えるのがプロフェッショナルだと思っていたので、変えようとしたんですけど、基本的なことは変わっていないんですね。基本的なところで、色んなバリエーションを試してみているという感じですね。

最初仕事始めるときはできるだけ変わったものが作りたかったので、それを特徴とするように変わったものをつくりましたけど、逆に今は、原画のスタイル、絵柄としてはオーソドックスなものを作ろうという、逆にまた、オーソドックスに作るなら、という、見かけはオーソドックスにやりつつ、違う実験を多分始めているのかもしれないですね。

P-C: 監督ご自身のアニメ制作の代表的なスタイルを説明していただけますか?また、そのスタイルによって何を表現しようとされていますか?

M.Y: 今は3Dが主流だったり、2Dのアニメが人気がなかったり、手描きが古いと思われたり、実写の方がいいなって思ったり、3Dの方がいいと思ったこともあったので、わざわざ2Dでやるなら、他のジャンルではできないものになった方がいいなっていうことでスタイルを考えることを心がけていますね。基本的に絵で表現したいっていうのはありますね。セリフとか物語の展開も大事ですけど、絵でそれが表現されていたらいいと思いますね。 客観的に3Dのような形の変わらないものが動いているのではなくて、作者がどう思わせたくて、何を感じさせようとしているかっていうのが分かるようなレイアウトやデフォルメがあった方がいいと思っています。それによってスタンスが変わっていったりとか、背景の描き方が変わっていったりとか、キャラクターが変形していったり、というのがあるのがアニメーションだと解釈しています。

P-C:  2014年に、サイエンスSARUという会社をチェ・ウニョン氏と設立されました。アニメ制作会社を作ろうと思った理由はなんでしょうか。

M-Y: 一つは、2Dの会社、本当にアニメーションの仕事って大変だって思うので、全くやりたいとは思ってなかったんですけど、フラッシュアニメーターの二人が参加したいっていうのがあって。その二人とはいつか仕事がしてみたいと思っていたので、その人たちと仕事ができるなら、スタジオの形にしてもいいなと思いました。もう一つは、アニメーションの仕事って昔から大変でしたけど、だんだん面白く無くなってきたんです。本当にシステムがはっきりして、スポンサーの要望に前より答えなければいけなくなった。昔も大変な仕事だったけど自由があった、それがどんどん無くなっていって、大きな会社だとそのシステムにならざるをえなくて小回りがきかない。自分たちでもっと小回りよく、周りの状況に合わせて、できるだけ作りたいものが作れる状態にしたい。という考えでウニョンさんと会社を起こしました。

P-C: 前の質問にも繋がるのですが、ご自身で制作会社を持たれることのメリット、デメリットを詳しく教えて下さい。

M-Y: 何かやりたいと思ったときに直にスタッフがいて、それをやってくれたり、またフラッシュアニメーションなので、たくさんの会社を通さなくてもそこで完結することができたりという利点があります。それと、同じスタッフとやるので、先ほど色んな会社でやるとその度に新しく始めるって言いましたけど、どんどん蓄積していく感じなので、言うことが少なくなっていく。今、もっと他に監督がいれば仕事取ってきてまわしていけるんですけど、今は一人で仕事、監督を受けているので、ちょっと大変っていうのがありますね。

P-C: 「ピンポン」は、今まで見たスポーツアニメの中でも特に素晴らしいと思っています。このプロジェクトの中で、監督としてシリーズの構成、脚本、絵コンテを担当されています。この漫画をアニメ化するにあたってのアプローチがどんなものであったかを教えて下さい。原作の中で大切にされた部分はなんでしょうか。

M-Y: ある程度数年前から、なんか面白いものを作る自信があって、ただそれが一般性があるかどうかって言うのが大きな問題ではあるんですけど。その作に合わせたアプローチが出来ればなって思っていました。その前の四畳半神話体系っていうのは、小説をアニメ化するっていうのはこういうことでしょうっていうようなアプローチでやっていますね。で、まあ色々、絵の作り方っていうのはありますけど。で、ピンポンは、今度は漫画をアニメ化するっていうのはこういうことでしょうっていう意図でやっていますね。もともと原作がよく出来ていなければどんどん変えていくと思うんですけど、原作がかなりよく出来ている。 漫画がよく出来ているのに、 アニメ化する必要っていうか、漫画読んで感じたものをそのままこっちへ出そうって。それでもし漫画読んでちょっと僕がわかりづらかった、こういうのがあればわかりよかったっていうところは足していこうっていう感じで作っていますね。コマ割りなんかも、コマはかっこいいんだから、わざわざレイアウトを変える必要はないと思って、コマを切り貼りしていくようなスタイルで作っていきました。

もちろん、面白かった部分はそのままやるとして、自分がそこに付け加えたかったのは、ようは 分からなかった部分ですね。スマイルはみんなから才能があるって言われるんですけど、ペコだけはみんなから無視されている。でもなぜ彼に才能があったことは誰も気がつかなかったんだろう。なぜスマイルだけが知っていたんだろう。とか、チャイナ、孔文革(コン・ウェンガ)がやってきて、チャイナは強い強いって言われているけどあまり強いところは見せないで終わっているので、やっぱり強いところを見せてやりたいなと。でもなぜ彼はそういう態度をとっているんだろう。というような、バックグラウンドを想像して付け加えてやっていますね。それはドラマもそうで、なぜそう動いているんだろうという、原作では書かれていないバックグラウンドをアニメーションでは足してやるようにしましたね。

P-C: 「夜明け告げるルーの唄」では、ついに作りたかったものが作れたのではないでしょうか。テーマ、アニメーションなど、この映画で表現したかったのは何でしょうか。環境問題、人種差別などが根本にあるのでしょうか。

M.Y: なんか色々質問されたりして答えている間に色々考えていると、やっぱり基本的に同じことをいつもやっているんだなという風に思います。他者に対する理解をしたいっていう気持ちがあって、逆に自分が理解されたいって思っている部分があるのかもしれないですけど。理解せずに壁を作ったり、相手を勝手に悪い人に仕立てたりってするのが良くないなっていうとこがありますね。何か悪いことが起こった時にその人のせいにしたりとか。歴史的にもたぶんそういうことってよくあって、もっとおおらかに相手を理解できたらいいなっていう思いがいつもありますね。

P-C: アニメ界の伝説である小林治氏、柴山努氏とも何度か一緒に仕事をなさっています。以前、彼らの仕事に対する姿勢、深い知識に衝撃を受けたと言われましたが、彼らの姿勢とはどんなものでしょうか。なぜ衝撃を受けたのでしょうか。

M.Y: もともと二人とも天才アニメーターで、すごく早く描いて、ばりばり仕事してきた方たちだと思うんです。二人で会社を起こして、仕事を自分たちで取ってきて、みんなにやらせながら、面倒は見る。ということで、すごく色んな人材が亜細亜堂っていう会社から出ています。僕が柴山さんや小林おさむさんの年齢になったらそうなるのかなあと思いながら、自分の年齢が上がっていってもなかなか彼らには近づかない。でもやっぱり理想として彼らの仕事ぶりは本当に素晴らしいと思いますね。たぶん追いつくのは無理ですけど、自分なりに彼らに追いつきたいっていう気持ちは失わないでやりたいって思っています。

柴山努さんとか、絵コンテがもう絵本みたいなんですよ。きっちり全部書いてる。で、本当に綺麗に描かれているんですよね。それをすっと描くんですよ。毎日たくさんやっている。若い時は  (私は)すごく切り替えがわるかったんですけど柴山努さんは朝3時間それをやって、後の3時間は執筆の仕事をやって、後3時間はまた違う仕事をやって、普通の人の1日分の仕事をその3時間とかの時間の中でやってしまうんですよね。打ち合わせをしていても、監督の柴山さんが、こういうのがあるよねって言いながらその場で描いていくんですよね。資料とかは見ずに、もう全部覚えているんですよね。車ってこんな形でしょ、じゃこんな形で、キャラクターはこういうのがいいね、って打ち合わせの最中にもう設定がどんどん出来上がっていく。すごい知識と、衰えない技術。よく早く衰えてくださいって言っていたんですけど、まだ全然衰えてないと思うんですよ。柴山さんはもう引退されているんですけど、未だにすごく上手いんです。

それと、他人に期待してないですよね。みんなに優しく、コンテを描きますね。自分が上手いから上手い絵を描けとは言わないですね。下手な人が描いても大丈夫なようなコンテを描いて、まあ描きなさいみたいな感じで言って。そこらへんがすごいなっていう風に思いますね。小林おさむさんっていうのはまた逆の天才なんですけどね。 柴山さん、おさむさんが描く絵は誰も描けないですね。でもどんどん直していく。そういうタイプもあるんだなあっていう風に思いますね。

P-C:   監督ご自身の仕事に対するポリシーを教えて下さい。

M.Y: 臨機応変で、いつもできるだけ楽しくやることですね。怒ることもありますけど、それで何も変わることはない。みんながベストで仕事ができるように。でも一番大切なのは作品なんですよね。作品を観る人は中でスタッフがどうだったとかいうことは全く関係ないので、作品だけはいつもある程度の基準は超えるように作りつつ、どんなアクシデントが起きても気持ちよく乗り切って、良い作品を作るっていうのを心がけています。

P-C: もう一人の伝説である、ジブリの高畑勲監督とも一緒に仕事をなさっています。「となりの山田くん」ではキーアニメーションを担当され、ご自身のスタイルで表現することが出来た作品だったと思います。高畑監督との経験はいかがだったでしょうか。

M.Y: やっぱり高畑さんとか宮崎さんっていうのは、まあ柴山努さんも小林おさむさんもそうですけど、自分の憧れの人だったんですよね。特に高畑さんは気難しそうなイメージがあったんですけど、実際に会うとすごくフランクな柔らかい感じで。「君とは初めて仕事をするから、ちょっとお話ししましょう」って言ってジブリのカフェで少しお話しをしたんですけど、ああそんなことをやるんだっていう感じでした。その後の打ち合わせでも、それまでは監督って質問が来たらすぐぱっと切り返すように指示が出来ないとだめだっていう風に思っていたんですけど、高畑さんは結構悩まれながら、考えながら説明をされる方だったので、あ、そんな風にやってもいいんだ、っていう風に思いましたね。自転車に乗るシーン、バイクだったかな?で、「こうやって乗るんだけど、あれ?こう乗るかな?あー、やっぱこう乗るかな?」って動いて説明しながらやられるので、あ、監督も迷っていいんだって思いました。でもあんまり迷いすぎるとそれもあんまり良くないんですけど。

監督として、やっぱり迷ってもいいんだって思うところがあったのと、となりの山田くんも特殊な作り方をしていたので、こういうやり方もあるんだなっていう風に思いました。

P-C : 今後のサイエンスSARU  におけるプロジェクトを教えて下さい。

M-Y: 来年割とすぐ、デビルマンっていうNetflixのアニメがあって、またその次にはオリジナルのアニメが作られる予定です。今回作ったのはマインドゲーム以来12年ぶりでしたけど、その反響を見ながらさらに面白くクオリティの高い作品を作るつもりです。

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